あじさい会

歴代会長の思い

あじさい会の節目の年に、歴代の会長より記念誌に寄せて頂いたコメントを掲載しております。

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「あじさい会」10年の歩み ~思い出すままに~

創立10周年記念誌(2000年発行)より
故 猪俣 龍三(初代会長)

 今年は「あじさい会」が発足して10年になるそうで、記念に何か思い出になる様な事があれば書いてくれというお頼みを委員の方からお受けした。元来筆不精でこの手の事は苦手なのだけれど、折角のお頼みなので内容の出来不出来は気にせずにお引き受けすることにした。月並みの言い方であるが、光陰矢の如し、誠に月日の経つのは早いものである。しかし、「あじさい会」発足以来今日までの紆余曲折を考えると短いようでもあり、長いようでもある。

 ところで、身内に患者を抱え一人で不安に陥っている家族の方々の相談になってくれる所が地域の保健所である事を知り得た数人の方々は、或る日何かの折りに保健所に集まった時、保健所の呼びかけに応じて家族会の結成に向けて相談を始めたのがそもそもの始まりであったと思う。この頃、近隣諸都市では既に大部分の所が家族会を結成しており、小金井市は寧ろ遅きに失したと言うべきであろう。勿論、家族の方々はそれ以前にも種々の医療機関や相談所等に個人個人で悩みを訴えておられたであろうが、結局最終的には保健所の支援の下に一つの集団として家族会の結成に向けて動き出したのは自然の成り行きであった。しかし、ともかく皆さん初対面の上、この種の会の運営には不慣れの方ばかりで当初はどうやって議事をすすめてよいかとまどうばかりで、誠にぎこちない状態であった。しかし、家族会として何とかまとめ上げる事が出来たのは、少しでもお互いに孤立感から脱却したいと言う連帯意識の結果であったと思う。

 さて、総勢たかだか7~8名、結局全員が何らかの役職につかねばならぬ実情で、第一の難問はその役割分担であった。しかし、この問題を会員の皆様が個人の事情を越えて、犠牲的精神を発揮して適性に応じて引き受けて頂いた事は有難い事であった。会のニックネームを丁度その頃の季節の花にちなんで「あじさい会」とする事もすんなりときまった。発会式は予想を超えて充実したものであった。岩城所長のご配慮で市のお偉方を始め、市内外の関係団体のおれきれきをお招きしての盛大なおひろめ式となった。

 発足後の「あじさい会」は近隣の関係施設の見学、その他専門の諸先生をお招きしての研修会等積極的に活動し、高齢の会員の方には体力的にも多少無理をおかけした様な有り様であった。更に、発足したばかりの「あじさい会」は先ず何よりも関係の諸団体にその存在を知って貰う必要があった。この為上級団体である全家連や東京都連合会「つくし会」等にもいち早く加入し、近隣の家族会とも積極的に交流を図り、諸団体が催すイベント・講演会等にも事情が許す限り出席する等努力を惜しまなかった。おかげで小金井の「あじさい会」として次第にその存在を認識して頂く様になった事は、メンバーの皆様の献身的努力の賜物であったと言わねばならない。

 発足後最初に経験した難関は補助金申請であった。当時の小金井市の精神障害者に対する関心は皆無に等しい貧弱さで、精神障害者はとても行政の手におえない特異で厄介な存在であり、その偏見と差別は極端に言えば昭和初期の一昔前の認識そのものであったと言っても過言ではない。とにかく我々は福祉部長と福祉諸都市の家族会の助成金の状況を説明して理解を求めたが、最初の市の反応は全くけんもほろろの対応であった。要するに、発足したばかりの海のものとも山のものとも解らぬはっきりしない団体に市民の貴重な税金を投入するわけには行かないと言う事であった。言われてみれば、行政責任者の立場からすれば至極当然の態度であった。しかし、我々はこのまま成り下がる訳には行かないので更に、種々の他都市の家族会に対する資料等を揃えて再三再四説得を試みた。岩城所長の広い人脈を頼んでの了解工作、現会長の浦和さんの市議会議員に対する知名度等を頼りの折衝等あらゆる手段をつくしての運動を展開した。結局、某政党の市会議員の方の援助により、市議会に対する陳情書の作成に協力して頂き市議会に提出、目出度く市議会で採択可決され漸く「あじさい会」も正式に市の福祉団体として登録され補助金が下りる事となった。この間の皆様の苦労は並大抵のものでは無かったが、これで「あじさい会」もどうやら一人前になった訳である。これを契機として、市の精神障害者に対する理解も増し取り組みも徐々に改善される機運になったと思われる。

 次に、忘れ得ない出来事として、平成元年頃から始められた小金井保健福祉計画の策定であった。この計画はいささか突然始められた計画の様であったが、その背景としては以前から全国的計画として定められた高齢者老人福祉計画の地域的推進運動の一端として、老人福祉ばかりでなく広く身体障碍者、知的障害者、視聴覚障碍者等を含めた広範囲の計画となったものである。それはそれとして大いに結構な事であったが、ここで我々が唖然としたのは殆ど精神障害者に対する考慮が払われていないか、若しくは無視されている事であった。その頃の精神障害者の福祉は他障害者に比べて著しく差別的待遇に甘んぜられた状態で、これはもともと精神障害者は福祉の対象者としてよりも医療対象者としての処遇が主流となって国全体としても、地域行政としてもその福祉対策の壇上には乗っていなかった為である。我々としては、このような精神障害者に対する偏見と差別を改善すべくあらゆる機会をとらえて市当局に働きかける必要を感じた。市が主催する計画説明会には積極的に出席して文書や口頭で我々の意見を具申し、関係団体との共同行動に参加し、小金井に「あじさい会」ありと言う事を協力に印象付ける事に全力を尽くした甲斐あって、一応の成果を収めたと思っている。この頃は「あじさい会」の活動も徐々にではあるが軌道に乗って既存の市内で唯一の共同作業所「あん工房」と協同活動を活発にし、更に、第二番目の協同作業所「スペース楽」の設立に現所長の富沢さんと一心同体の協力をして、当時の保健所長赤穂氏の強力な援助を得て、その設立に成功した事は特筆に値する事であった。現在は既に「スペース楽2」の設立を見、楽1、楽2の併立となり、更に、第四の作業所「希望の家」も設立される等小金井の福祉施設も漸く充実しつつある事は皆様ご存じの通りでご同慶の至りである。

 以上は、小金井市に於ける精神障害者の福祉を取り巻く一連の経緯であるが、この頃になって全国的にも精神障害者に対する福祉の遅れが認識され、法的にも見直しの機運が広がり、政府、国会に於いても障害者に対する基本的法制の確立の必要性が叫ばれる状況となった。即ち「障害者基本法」の成立と、精神障害者の家族が渇望した「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律」(略して精神保健福祉法)の成立公布を見た事である。このうち前者「障害者基本法」は誠に画期的と称すべきもので、これによって今まで精神障害者の福祉は一般障害者の枠外に置かれ対象から外されていたのが、この法律によって明確に障害者と定義され他の障害者と同等の処遇を受け、その間差別があってはならない事が法的に確立したのである。その裏付けとして、数年を経ずして精神障害者を対象とする「精神保健福祉法」が交付され具体的に精神障害者に対する福祉対策の実現となったのである。例えば精神障害者手帳の交付、保護者制度の廃止、緊急入院等の場合の医療機関までの移送の改善等、徐々にではあるが多少の進展を見つつあるのは喜ばしいことである。しかし、まだまだ不十分で今後ともその充実のために我々家族会は益々協力して一層の福祉の向上に努力が要求される。

 以上の様に、精神障害者に対する既存の差別的法制も画期的改善を見、福祉の向上を次第に実を結びつつある屋に思われた時、図らずも多摩地区に於ける保健所の統廃合問題が勃発し、我々ははかりしれない衝撃を受けたのである。そもそも保健所は地域の家族会にとっては生みの親でもあり、育ての親でもあり、言わば一心同体的な存在でもある。また障害者当事者にとっても信頼し得る唯一の療養と心の安らぎの場所でもある。そのかけがえのない保健所の存在そのものが危ぶまれる事態となると、これは見捨てておかれぬ大事件である。そもそもこの問題の発端は東京都はいろいろと大義名分を並べてはいるが、都の財政事情の悪化に由来している事は想像に難くない。従って、我々としても一面無理からぬことと理解できない事でもなかった。しかし、あまりにも障害者の利害に大きく関わる問題だっただけに、家族会だけでなくその他の関係諸団体にも大きな反響を巻き起こす事態となった。特に小金井の保健所が廃止されて府中保健所に統合されることが明らかになって、「あじさい会」の危機感は深刻なものとなった。我々はあらゆる機会をとらえて都の責任者、市の担当者との質問会の開催、この問題に詳しい専門家を招いての勉強会、多摩地区関係諸団体との共同連絡会等問題の解明に力を尽くした。この様な、我々の必死の努力にも関わらず残念ながら我々の希望は実らず結局保健所の統廃合は現実のものとなり、とりわけ関係の深い小金井の保健所は府中保健所に統合される事になったのは皆さんご存じの通りである。しかし、かかる事態に於いても少なくとも精神障害に対する取り組みは依然として保健所が担当する事に変わりはなく、小金井保健所が廃止されても今までと同じ様な保険サービスは維持される事等が確約されて我々としても納得せざるを得ない次第であった。そして特筆すべきこの問題を契機として多摩地区近隣の家族会と交流の機運が生じ、定期的に合同の会合を持ち今後の広域的家族会の発展と活性化の為、お互いに勉強しようと言う運動になった事は予期せざる収穫であった。

 以上、我々家族会「あじさい会」の10年間の歩みの一端を述べて来たが、この間精神障害者に対する一般の理解と認識も徐々に改善されつつあるとは言え、世界に於ける趨勢から見るとまだまだ発展途上国の域を脱していない様にも思われる。「その国の文化の程度を見るには、その国の精神障害者に対する処遇の程度で判断できる」と、或る米国の識者が言っている。精神障害者が、またその家族の方々が、偏見と差別のないより良い環境の中で治療と生活を享受出来る日が一日も早く到来することを祈るのみであるが、その為には我々家族会の努力と活動も欠かせない要素であると同時に関係諸団体との交流を活発にし、そのご支援を仰ぐ事が必要不可欠であると思う。

 最後に、小金井近辺のご家族の中で人知れず悩み苦しまれ孤立無援の状態におられる方が多数おられるやに聞いているが、是非一度気軽に「あじさい会」に足を運ばれる様お勧めします。